POINT OF VIEW ポイントオブビュー

文筆家

仲俣 暁生

大当たり(ジャックポット)の年に

コロナ禍のなかでしばしば思い起こされたのは日本のSF作家、小松左京の作品がもっていた先見性だ。なかでも『復活の日』や『日本沈没』といった彼の代表作はボッカチオの『デカメロン』やカミュの『ペスト』といった海外文学の古典と並んでよく言及された。

この冬の感染再拡大によって一種のディストピア状況が一年以上も続くなかで、事態はさらにスラップスティック、すなわちドラバタ喜劇の様相を呈してきた。そこで出番となるのが同じく日本SFの大御所、筒井康隆である。その新刊『ジャックポット』(新潮社)は表題作を含む短編集で、後半の6作はすべてこのコロナ禍のなかで書かれている。
ロバート・ハインラインの短編から採られた表題作「ジャックポット」の意味は「大当たり」。何の大当たりかといえば災厄の、である。「第一波」「ウィズ・コロナ」の二部構成のうち、アベノマスクなどに言及のある前半はともかく後半は完全なフィクションで、現実に起きた出来事以上にぶっ飛んだ世界が描かれる。想像上のその世界ではコロナウイルスの第二波だけでなく、米中間で偶発戦争が勃発し、米国内ではデモの鎮圧に軍が出動して大勢が死ぬ。イスラム原理主義もさらに激化し、ワクチンが思うように手に入らない日本でも社会が完全崩壊……といった絶望的な状況に陥っているのだ。

まさに泣き面に蜂、災厄の「大当たり」状況を筒井は得意のドタバタ技法で描く。SF作家の奔放な想像力よりも現実のほうが少しはマシであることにホッとするべきか、それとも災厄に慣れた私たちのほうがおかしいのか、という問いをこの短編は突きつける。
「ジャックポット」のなかではさらりと触れられているが、このコロナ禍のなかで筒井康隆は画家だった長男の信輔氏を失った。単行本『ジャックポット』のカバーや扉には信輔氏の手による作品が使われており、死後の息子と対話する私小説的な短編「川のほとり」も巻末に収録されている。この本はおそらく信輔氏との「共作」という意味合いがあるのだろう。

ほかの収録作品もドタバタ喜劇ふうの書きぶりが多いが、そのなかに自伝的な「一九五五年二十歳」が収められているのが目につく。同志社大学に入学後、政治デモに冷ややかな視線を差し向けながらも演劇活動に没入し、「おれはいったい何者だ」という自問を抱えていた若き日の筒井康隆の姿が、ここでは思いがけないほどストレートに描かれている。
この自伝的文章の最後もやはり、早世した息子への言及で終わる。「二十歳のおれは、やがて作家になり、こんなに長生きするとは思ってもいず、まして息子が五十一歳の若さで死んでしまうなどとは夢にも思っていなかったのである」。
不条理な世界を描き続けてきたSF作家のこのような述懐は悲痛だが、SF作家であっても当然ながら人の条理のなかで生きている。そのことを教えてくれた本作は、少年時代からこの作家の作品を愛読してきた私にとっては、どこか心救われるものでもあった。

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